日本が弥生時代の真っただ中の時、世界では各地で革命など、大きな変化が起きていました。
そのなかでも、ヨーロッパに目を向けてみると、日本が弥生時代の時にはローマ帝国が力を増していく時期に当たります。
現在でもローマに関する本や論文が出版されるなど、多くの人々に興味を持たれている時代,そして地域であるヨーロッパ。
では、日本が弥生時代の時、ヨーロッパではいったいどんな流れが起こっていたのでしょうか。
ローマ帝国、躍進中!
日本が弥生時代真っただ中の時、世界、特にヨーロッパに目を向けてみると、ローマ帝国が力をつけ、当時の世界の中でも目立つ一大帝国を築いていく時期に当たります。
当時のローマ帝国は一大帝国として名を馳せていくと同時に、大きな変化が起こっていたころ。
オクタビアヌスという人物がアウグストゥスという名前で初代皇帝となり、共和制から帝政になるという大きな変換機だったのです。
共和制は国民の選挙で選ばれた代表者がトップに立つなど、人民が統治上の最高決定権をもつ政治の方法でした。
一方、帝政は皇帝が統治する政治の方法。
日本が弥生時代だった時、海をこえたヨーロッパでは、このような大きな変化が起こっていたのです。
オクタビアヌスという人物
初代皇帝となったオクタビアヌス。
元老院から与えられた「尊厳者」という意味のアウグストゥスとして皇帝となったこの人物は一体どんな人物なのでしょうか。
この人物は内乱を鎮めたカエサルの養子であり、皇帝として帝政を始めた人物です。
しかし、アウグストゥスは元老院などの共和制の時の制度を尊重しました。
そのうえで、自分の事を市民の中の第一人者と自称したのです。
しかし、その裏ではほぼすべての要職を兼任し、大きな権力を持つことに成功した人物でもあります。
つまり、当時のローマ帝国は実質皇帝の独裁状態だったのです。
日本が弥生時代で人々の生活が徐々に変わっていっている頃、ヨーロッパのローマ帝国ではアウグストゥスのような人物が政治の実権を握り、ヨーロッパから西アジアにまたがる一大帝国を築き上げていたのです。
ローマの平和
日本が弥生時代の頃、海を渡ったさきのヨーロッパではローマ帝国が急激に力をつけ、成長していました。
政治の方法が共和制から帝政へと変わり、アウグストゥスが初代皇帝となってローマ帝国を率いていたころです。
そしてその後約200年もの間、ヨーロッパのローマ帝国は「ローマの平和」と呼ばれるほどの繁栄と平和を手に入れる事になります。
同じころ、日本では弥生時代であり、人と人とが食料をめぐって争うようになる争乱の時代を迎えていました。
日本がそのように争いの時代を迎えるその一方で、海を渡った先のローマ帝国は逆に力をつけ、一大帝国を築き上げながらもその後長く続く平和と繁栄の期間を手に入れたのです。