弥生時代の遺跡からは、当時の人々が祭祀に使っていたと思われる道具や祭祀が行われたとみられる場所が見つかっています。
しかし、弥生時代の祭祀の内容については、謎のまま。
当時の人々が残したわずかな痕跡からわかる、謎に包まれたままの弥生時代の祭祀とは?
祭祀はどこで?
弥生時代の人々が行っていたと思われる祭祀。
青銅器の一つ、銅鐸がそんな祭祀に使われたものだということは現在よく知られています。
では、弥生時代に銅鐸などを使った祭祀が行われていたとして、いったいどこで行われていたのでしょうか。
弥生時代には、人々の中で身分の差がでてきた時代でもありました。
それは墳丘がある墓や副葬品が埋葬されている墓、つまり一般の墓とは違う墓が登場してきたことでもわかります。
そしてそんな墓の周りでは祭祀を行ったと思われる痕跡が見つかることがあります。
そして、墓の周りだけではなく、方向などで墓と関連している場所からも、祭祀で重要な役割を持つ掘立柱建物の跡が見つかることも。
弥生時代では、何かしら墓と関わりある場所で祭祀が行われていたと思われるのです。
それはつまり、祖霊信仰が弥生時代に始まったともいえるのです。
弥生時代に信仰されていたものとは?
祭祀が弥生時代の墓の近くで行われていたりと、祖霊信仰が始まった様子を見て取ることが出来る弥生時代。
弥生時代の信仰として、そんな祖霊信仰の他に、稲の豊穣を祈る穀霊信仰があったともされています。
弥生時代の土器に鳥の姿をしたシャーマンらしき人の絵が描かれたものが山口県の宮ヶ久保遺跡から見つかったり、鳥型の木製品が遺跡から発見されたりしていることが穀霊信仰があったと考えられる理由の一つ。
鳥というものは、穀霊を運ぶものとして崇拝されていたと考えられているためです。
そのため、弥生時代では穀霊信仰と祖霊信仰が祭祀と大きく関わっていたとされるのです。
祭祀は特別?
弥生時代の人々にとって、祭祀はとても重要なものでした。
吉野ケ里遺跡の一角では、祭祀などを行う祭司者がいたことがわかっていますが、その祭司者が生活するスペースがわざわざ設けられていたことがわかっています。
そこでは祭器をつくったり、供物の調理をしたりなど、祭祀のための仕事を行っていたとされているのです。
さらに、そのスペースでは酒や衣服も作られていました。
弥生時代では、衣服づくりは神聖なものであり、重要な仕事だとされていたともいわれるため、祭司者が生活する場所で行われたといわれます。
更に衣服といえば、弥生時代にあった身分の一つである「大人」は祭祀や集会で着るための衣服も持っていたとされています。
弥生時代では、祭祀が行われていただろうことはわかっていても、どんな祭祀だったのかを詳しく知ることはできません。
しかし、残された痕跡からどのような祭祀だったのか、人々にとって祭祀とはどんなものだったのかを読み取ることは出来るのです。