弥生時代の集落ごとの特徴と規模

集落をつくり、集団で暮らしていた縄文時代、そして弥生時代の人々。

人々が暮らしていた集落にはその場所などによってさまざまな特徴があり、規模も小さなものから大きなものまで、それぞれに特色がありました。

その規模や特徴の違いは時代の流れの中で、つまり縄文時代と弥生時代との間で少しずつ現れてきます。

では、弥生時代の集落はどんな特徴を持ち、どれほど規模をもつ集落があったのでしょうか。

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大きな集落はどこにある?

縄文時代、そして弥生時代の人々が暮らしていた集落には大きなものから小さなものまで、様々な規模のものがありました。

しかし日本での分布をみると、面白いことに縄文時代と弥生時代では大きな集落がつくられた地域が偏っていることがわかります。

比較的大きな集落が東日本で多く見つかっており、西日本はそれほど多くなかったのが縄文時代。

一方、弥生時代になると、その逆。

大きな集落が西日本で多く見つかるようになり、東日本ではそれほど多くなくなっていったのです。

実はこの現象には理由があったと考えられています。

縄文時代に大きな集落が多かった東日本ではどんぐりなどを実らせる木が多く、食料が手に入りやすかったため、人が多く住める大きな集落が多く作られるようになっていったのです。

それが弥生時代になると、北部九州を初めとして西日本に一足早く稲作が広まったうえ、東日本よりも気候が稲を育てるのにあっていたため、人々の生活を支える十分な食料が確保できたため、縄文時代とは違い西日本の方に大きな集落がつくられるようになっていったのです。

時代による自然環境などの変化に合わせて集落の規模が変わっていったことがわかります。

このまとまりで1セット?

弥生時代に人々が暮らしていた集落にはある程度決まった形がありました。

集落の中にある建物の痕跡を調べると、当時の人々が住む堅穴住居が3軒に、米などの食料を蓄える高床倉庫が1棟という組み合わせが基本的に1セットになっているという特徴がみられます。

小さい集落、大きな集落など、集落の規模や特徴に違いはあっても、弥生時代はこういった特徴の組み合わせが基本となり集落をつくっていることがわかります。

ただ大きいだけじゃない?

弥生時代の集落といえば、環濠で囲んでいるという特徴を持つ環濠集落がよく知られています。

更に、環濠で囲まれたいくつかの集落を更に巨大な環濠で囲む規模の大きな環濠集落もあります。

また、集落の中の各エリアには倉庫が集まっているところ、人が住むところ、そして祭りや祭祀に使ったとみられるエリアなど、エリアごとに役目をもつという特徴がありました。

弥生時代の集落は日本全体の分布をみると地域によって規模の違いがみられたり、規模が大きくなればその集落の中のエリアごとに役割が分かれていたりしました。

弥生時代では、集落や人々の生活環境の違いがお互いに影響を与え合っていたのです。

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