貝塚というのは弥生時代などで狩りや漁をして暮らしていた人々が食べた後の貝殻を捨て、それが積みあがったものです。
ただ、貝塚文化というと貝塚とは違い、沖縄のある時代を表す言葉となります。
では、その沖縄の貝塚文化とは一体何だったのでしょうか。
貝塚文化って?
貝塚文化といえば、沖縄のとある時代を指し示しています。
どの時代だったのかというと、縄文時代から平安時代までを指し示すといえばわかりやすいかもしれません。
その時代が貝塚文化といわれるようになったのは、日本の本土と沖縄諸島の文化の違いに理由があります。
日本では狩猟中心であった縄文時代から、弥生時代になると米作りなどを行うようになるなど、農耕社会が作られていきました。
しかし、沖縄では水田が見つかっておらず、縄文時代のように狩猟や採取が中心の社会が続いた事から、貝塚文化という呼び方となったのです。
ちなみに貝塚、日本でいくつ?
海で採取した貝などを食べたあと、捨てた貝殻が積みあがって出来た貝塚。
沖縄では貝塚文化といわれる時代があるように、狩猟や採取中心の時代を表すものとなっています。
では、そんな貝塚は日本ではいったいいくつあるのでしょうか。
実は日本にある貝塚は約3000か所もあるとされています。
そして、日本である貝塚がある場所を見てみると、縄文時代や弥生時代の交易ルートと思しき場所に作られていることがわかっているのです。
更に米作りが盛んになっていった弥生時代には全体的に貝塚の規模が小さくなっています。
貝塚の場所や規模からは、その時代の交易ルートや農耕社会へと変化していった時代を見て取ることができるのです。
ただ、貝塚はもともとそれほど盛り上がっているものではなく、せいぜい2メートルほどの大きさしかありません。
更に、そこにあるのはすべてが貝殻というわけではありません。
貝殻のほかに、魚の骨はもちろん、獣の骨も交じっています。
採取や狩猟中心の社会だった沖縄では、貝殻から獣の骨までがある貝塚から作られた貝塚文化という言葉はまさにその時代を指し示しているといえるのです。
貝塚はこんなに優秀!
貝塚からは、貝殻だけではなく、魚の骨や獣の骨も見つかっています。
しかし、実は骨は時間がたつにつれ、劣化していくために長い間きれいな状態で保つのは難しいものなのです。
そんな風に脆い骨が貝塚からはきれいな状態で見つかるのには、貝殻が大きな役目を果たしていました。
貝殻が土をアルカリ性に保つため、骨を長い時間保管できるようにしてくれるのです。
更に、日本では弥生時代に交易の範囲が広がり、沖縄からはその土地特有の貝が交易品としてよく流通していました。
貝塚は貝がアクセサリーなどの材料として使われ、交易品として流通していた時代を表すだけではなく、獣の骨などの当時の事を知るためのたくさんのヒントを含んでいるものだったのです。
そして、縄文時代から弥生時代へと続く日本の本土のようには沖縄では米作りが広まらなかったという大きな違いを表すものこそ、貝塚文化なのです。