大きな変化があった弥生時代の国の数

縄文時代に比べて人が増え、狩りや農作業をして暮らしていた弥生時代。

人が増えたことでそれまでのムラから国へと集落が変化していきました。

では、そんな弥生時代には一体どれぐらいの国の数があったのでしょうか。

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国の数がころころ変わる?

縄文時代に比べ、弥生時代には人口が急激に増えていきました。

人口が急に増えた理由の一つは、弥生時代になって一気に広まっていった稲作です。

稲作などの農作業によって、食料をある程度安定して手に入れる事が出来るようになったため、多くの人の生活を支えることができるようになったのです。

更に、中国や朝鮮半島からは新しい文化や技術を持った渡来人たちが日本にやってきて、弥生時代の人々の暮らしを更に変化させ、暮らしやすく変えていきました。

その結果、弥生時代には人口が増え、集落の数も増えていくこととなりました。

更に弥生時代にはその集落が国へと変化していきます。

しかし、変化はそれだけでは終わりません。

弥生時代の国は周辺の国の中でひときわ力を持った国とまとまり、更に巨大なクニへとなるなどの大きな変化が起きていく時期に差し掛かっていったのです。

そのようにあまりに変化が大きいためもあり、弥生時代にあった国の数は現在でもはっきりとわかってはいないのです。

国の数を知る少ない手がかりとは

弥生時代にあった国の数は変化が大きいこともあり、なかなかその数がいくつほどなのかを断言することはできません。

しかし、あえて当時の国の数を決めるとするならば、手掛かりとなる資料が中国にあります。

国の数を知るための大きな手掛かりとなるその資料とは、『漢書』地理志です。

その資料には弥生時代の日本についての記述があり、そこが弥生時代に日本にどのくらいの国の数があったのかを知るための手がかりとなるのです。

そこに書かれているのが、弥生時代の日本が「百以上の国にわかれて暮らしている」ということ。

つまり、弥生時代の国の数は百はあったと考えられるのです。

もちろん、弥生時代には国の数に大きな変化が続き、必ず百以上だったとは言い切れません。

しかし、この資料が弥生時代の国の数を知る大きな手掛かりとなっていることは間違いないのです。

弥生時代の国から古墳時代の国へ

弥生時代の国の一つに邪馬台国があります。

邪馬台国は弥生時代にあった国の中でも現在までよく知られている国であり、中国の歴史書にもその国の様子が書かれています。

弥生時代には邪馬台国など、中国の歴史書に名が残るほど大きな国が現れました。

縄文時代にあったムラから弥生時代になるにつれ、国となり、更に大きな国が現れるようになっていきます。

そして、弥生時代のあと、古墳時代が訪れた時には大和政権が現れるなど、国の巨大さや影響力は時代が進むにつれて更に変化していくのです。

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