縄文時代に朝鮮半島から日本に伝わり、弥生時代に全国に広まっていった稲作。
弥生時代の稲作のポイントとして灌漑施設が作られるようになったことがあげられるなど、弥生時代の人々は米作りに工夫を凝らしていました。
そんな米作りにかけた弥生時代の人々の工夫は道具からもわかります。
弥生時代の人々が米作りの時に使っていた道具とはどんなものがあるのでしょうか。
目次
素材が木から鉄へ
弥生時代の米作りでは人々がどのように米を育て、さらに効率化を図っていたのかを道具から見て取ることが出来ます。
例えば、それは道具の素材からもわかります。
弥生時代の初めごろは米作り関係で使われた道具の素材は石や木が中心でした。
代表的な道具としては収穫の際に使われた石包丁があげられます。
そんな弥生時代の初めごろから後半になるにつれ、その素材は徐々に鉄へと変化していきます。
弥生時代に伝わった中には鉄器もあり、それが徐々に日本へ広まり始め、米作りの道具も鉄が素材となり始めたことがわかるのです。
代表的な道具は鉄鋤など。
米作りの道具が木や石から鉄へと変わることで、それまでよりも米作りの大変さを減らすことが出来たのです。
耕すのに活躍する道具とは
弥生時代の人々は米作りに様々な道具を使っていました。
遺跡から見つかる弥生時代の道具には、現代では見られなくなった道具もたくさんあります。
耕すことなどに使ったものとして土を耕す鋤や鍬、その他の道具には田下駄や大足などがあります。
田下駄とは田んぼで足が沈まないように足に履くもの、そして大足は肥料を田んぼに混ぜ込むために足につける道具です。
更に土の塊を耕したり、水田の土を平らにしたりする又鍬もありました。
収穫や脱穀に使う道具は?
そうした道具を利用して収穫できるようになると、次は石包丁を使って収穫します。
石包丁で稲穂をそのまま収穫し、高床式倉庫で保管。
食べる時になって脱穀するのです。
脱穀の際にもそのための道具が欠かせません。
脱穀に使われたのは木臼と堅杵です。
収穫した稲を木臼に入れ、堅杵でつく事によって脱穀していたのです。
弥生時代に木臼と堅杵を使って行っていた脱穀の様子を描いた絵が発掘された銅鐸に残っており、弥生時代に人々がどのように脱穀を行っていたのかを伝える資料となっています。
弥生時代にはそんな様々な道具を使って米作りを行っていましたが、道具が変わるとその様子にも変化が起こります。
例えば、石包丁は収穫の際穂首ごと摘み取っていましたが、道具の素材が鉄に代わる中で石包丁から鉄鎌に代わると稲の根元から刈り取られるようになります。
道具の変化は時に米作りの様子や方法を変えるほど大きな違いを人々にもたらしました。
そうして弥生時代の米作りは発達していったのです。