弥生時代に起きた倭国大乱とは

狩猟や漁をして食料となる獲物を捕らえ、暮らしていた縄文時代に比べ、稲作が始まった弥生時代になると獲れた米などの食料をめぐって人同士の争いが始まったとされます。

つまり、弥生時代は争乱の時代といえるのです。

そんな弥生時代の中で、倭国大乱と呼ばれるものが起きたといくつかの資料が伝えています。

その倭国大乱とは一体何なのでしょうか。

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何が日本初?

弥生時代に起きたといわれる倭国大乱。

それは名前の通り、弥生時代の終わりごろに倭国、つまり日本で起こった大きな争いでした。

倭国大乱がおこった場所はわかってはいませんが、そのことを記した当時の資料には、倭国は非常に乱れ、互いに入り混じって攻め合い、長い間統一されなかった、と書かれています。

倭国大乱の事はいくつかの資料に書き残されており、それだけ大きな争いだったことがうかがえるのです。

それほど倭国大乱がいくつかの資料で書き残されているのは、この倭国大乱が実はとあることで日本初だったことも理由の一つ。

弥生時代の終わりごろに起きたこの倭国大乱は、実は日本で初めての大きな争いだったとされているのです。

弥生時代は争乱の時代。

人同士の争いが始まったといわれる弥生時代の中でも、倭国大乱は初めての大きな争いとして記録に残っているのです。

女王誕生

倭国大乱によってとても乱れた倭国では争いが続き、なかなか統一されなかったと書き残されています。

そんな倭国大乱の理由は詳しくはわかってはいません。

ただ、とある辞書には『西日本の倭人の階級的矛盾と中国後漢の異民族支配の低下が原因とされ、女王の共立によって安定』したと書かれています。

この倭国大乱が西日本で起きた可能性があること、そして当時の日本が様々な文化が入り混じり、価値観のぶつかり合いがあったことがこの記述からは読み取ることが出来るのです。

そして重要なのは最後の部分。

女王の共立によって安定した、と書かれています。

ここに書かれている女王こそ有名な邪馬台国の卑弥呼なのです。

弥生時代には男の王が何人かいたものの、国が荒れ、治まる様子がなかったことから女王である卑弥呼を女王として立てたことで国が安定した、と学んだことがある人も多いはず。

倭国大乱は、卑弥呼という日本初の女王が誕生するきっかけとなった大きな争いだったのです。

当時を語る資料は

倭国大乱はいくつかの資料に書き残されています。

その資料は海外の国に残されていたものでした。

例えば中国には『三国志』という資料があります。

その中の『魏志』という部分には当時の日本に関することも書き残されており、この部分が『魏志』倭人伝といわれているのです。

倭国大乱について書かれている資料といえばこの『魏志』倭人伝、そして同じく中国に残されている『後漢書』です。

場所など、詳しくはわかっていない倭国大乱。

中国などに残されている資料のおかげで、それらの事をわずかであっても現代の私たちは知ることが出来るのです。

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