現在日本で私たちが使っている漢字がもともと中国から伝わってきたものであることはよく知られています。
では、文字が初めて日本にやってきたときにはどのように伝わってきたのでしょう。
そして、最初から文字という概念を日本の人々は理解できていたのでしょうか。
漢字は絵文字?
日本に初めて文字が伝わってきたのは弥生時代の中頃の事。
弥生時代の人々が日本で初めて文字に接することとなりました。
漢字などの文字が書かれた銅銭が弥生時代の日本に伝わり、人々の目に触れることになったのです。
しかし、実は当時の人々はその文字を理解できなかったと考えられていました。
というのも、当時の日本の人々がつくった仿製鏡が見つかっていますが、そこには漢字が抽象化され、獣の形として表現されていたためそう思われていたのです。
しかし、その認識はのちにひっくり返されてしまいます。
二転三転、文字の理解はいつから?
当時、漢字は伝わってはいたものの、伝わった当時の弥生時代の人々は理解できず、使用されていなかったと考えられていました。
しかし、そのことをひっくり返す史料が発見されます。
五世紀代に漢字が理解され、使用されていたと思われる史料が見つかったのです。
それは漢字が入っている鉄剣銘などでした。
しかし、更に三世紀代には文字という概念が理解され、漢字が使われていた証の史料が見つかります。
福岡県の前原市三雲八龍遺跡から発見された甕に刻まれていた記号のようなものが、実は文字だったことが判明したのです。
福岡県の前原市三雲八龍遺跡の近くには外国から来た使者がよく滞在していた可能性が高い場所とされている遺跡があり、弥生時代の人々にとって漢字などの文字がより身近にある環境だったこと、更に、長野県の遺跡からも「大」らしき文字が刻まれた土器片が見つかったりと、当時の人々が文字を理解し、使用していた可能性はより強くなりました。
そして、文字の使用に関する新たな発見はそれだけではありません。
更に遡って、二世紀の遺跡からも文字が使用されていたことの証となる史料が発見されたのです。
弥生時代の人々が一体いつ頃文字を理解し、使用していたのか。
推測されるその時期は二転三転しつつ、思っていたよりもずっと前の時期だと思われるのです。
文字は何のため?
弥生時代の人々は文字が伝わってきたときにそれを理解し、自ら使用していたとみられます。
弥生時代の人々にとって、なんとしても文字を理解しなければならない理由があったのです。
それはもちろん、外国との外交のため。
弥生時代に日本にはないものをもたらしてくれる外国の使者との外交はとても重要なものでした。
そのため、文書外交などに欠かせない文字を理解し、使用することはとても重要な事だったのです。