世界を知るには経済の動きを知ることが大切だとされるほど、現代では重要視される経済。
そんな経済の面から時代を振り返ってみることも最近では行われています。
では、その経済が多くの物事を動かすのはいつの時代からなのでしょうか。
実は、日本の歴史をさかのぼること弥生時代、その時にはすでに経済は多くの物事を動かしていたのです。
経済に欠かせない貨幣は?
経済を語るのに欠かせないものといえば、貨幣です。
しかし、そもそも弥生時代、日本に貨幣はあったのでしょうか。
実は弥生時代の頃の遺跡からは貨幣が発掘されています。
つまり、弥生時代にはすでに貨幣が日本にあったのです。
しかし、日本で作られた貨幣ではありませんでした。
弥生時代に見つかったのは日本の外から運ばれた貨幣だったのです。
そして、この貨幣が当時の経済の状況を語っているわけではありません。
実は、弥生時代に見つかった貨幣は当時貨幣として使われていたとは断言できないのです。
ただ単に何か鋳造するための材料だったのか、本当に貨幣として使われていたのかは謎のまま。
どちらにしても、弥生時代の日本の経済を語れるほど広まってはいなかったのです。
弥生時代、貨幣の代わりとして使われていたものは絹や布、そして米だったとされています。
特に米は弥生時代の日本では大切にされていました。
弥生時代の経済を語るには、それらが貨幣の役目を果たしていたことをおさえておかなくてはならないのです。
弥生時代に市があった?
経済を動かすものは貨幣ですが、それに関わるもので重要なものがあります。
それが市場です。
弥生時代にも、日本最古の市がひらかれていました。
そのことを物語るのが中国の歴史書の『魏志』倭人伝です。
弥生時代の日本の環境や文化を知る大きな手掛かりとなるこの『魏志』倭人伝には国々に市があったと伝えているのです。
市といえば、経済が動く場でもあります。
そんな弥生時代の市があった場所として、吉野ケ里遺跡があげられます。
吉野ケ里遺跡には最古の市場だったとみられる痕跡が残っているのです。
しかし、その一方で、有力者の住居ともされる痕跡のため、はっきり市だったとは言い切れないのです。
経済を動かしていたのは?
弥生時代、米や絹、布が貨幣代わりに使われていたり、市がたっていたとされたりと、経済が活発に動いていたことが伺えます。
また、経済を動かす大きな要因は他にもありました。
例えば、『魏志』倭人伝は邪馬台国で税という制度がすでにあったと伝えています。
邪馬台国にはすでに納税制度が整いつつあったのです。
納税制度では当時貨幣代わりに使われていた穀物が貨幣代わりにされていたのでは、とされています。
更に、納税の対象となったのは穀物ではなく、労働力を提供していたとも考えられているのです。
そんな納税制度もまた、弥生時代の経済を動かす大きな要因となったと考えられます。
弥生時代にすでにあった税の制度や貨幣、そして市。
弥生時代には、それらを中心として経済が動いていたのです。