弥生時代の環濠集落の構造とは

弥生時代の集落の構造としてよく知られている環濠集落。

濠を使った集落だとは知っているけれどその濠の中にある集落が一体どんなものだったのか、知らない人も多いはず。

実は環濠集落の特徴は濠だけではなく、その濠に守られた集落の中にもありました。

では、弥生時代の環濠集落のその構造とは?

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濠をめぐらした目的は?

環濠集落はその字の通り、集落の周りに濠をめぐらせた集落です。

守備力の高いその環濠集落が姿を現したのは弥生時代。

そもそもそんなに守備力が高い環濠集落はなぜ弥生時代に必要とされたのでしょうか。

唐古遺跡や池上遺跡などに見ることが出来る濠をめぐらした環濠集落。

弥生時代の初めごろから姿を現した環濠集落ですが、そもそも作られた濠は一体何から弥生時代の集落を守っていたのでしょうか。

イノシシや野生動物からの急襲から集落の人々を守るため?

一般に、それは違うといわれています。

弥生時代と同じようにイノシシなどの野生動物が身近にいた環境で暮らしていた縄文時代の人々は環濠集落をつくっていなかったからです。

同じような環境にあった縄文時代では発達していなかった濠が弥生時代に発達して環濠集落になったのには、縄文時代になくて、弥生時代には起こるようになったことが大きな原因となったといわれています。

それが、人同士の戦いです。

縄文時代とは違い、弥生時代には食料をめぐって人同士が争うようになったのです。

そのため、環濠集落の濠はイノシシなどを中に入れないだけではなく、敵対する人間からムラを守るために作られたと考えられるのです。

九州と近畿との違いとは?

敵となる人からムラを守る環濠集落。

実はその内部の構造には地域によって違いがありました。

例えば、九州と近畿では大きな違いがみられます。

九州では、その環濠集落の濠の中には貯蔵穴が多く、堅穴住居が少ないという特徴があります。

つまり、九州の環濠集落の濠は食料を保管するための貯蔵穴を守るためであって、ムラを守るために作られたものではないと考えられているのです。

一方、気になるのが近畿の環濠集落。

近畿では濠の中に住居はあるものの、大規模な墓は濠の外につくられているという特徴があります。

さらに、集落の中には高床式の建物が多くみられます。

九州の環濠集落は人というよりも食料を一番に守るものだということが見て取れ、近畿では食料ではなく、人を守ることを優先していることがわかるのです。

濠を掘っただけでは終わらない?

弥生時代に見られる特徴の一つである環濠集落。

地域によって集落の中の構造に差があったりと、知れば知るほど面白い環濠集落ですが、ただ濠を掘っただけではない遺跡もありました。

濠は土を掘って作りますが、その時に出た土を利用し、更に土塁を築くという二重、三重の防御施設をも作り上げた遺跡も弥生時代には存在していたのです。

濠を掘った時に出た土までも利用する、そんな人々の工夫がいっぱい詰まった集落こそ環濠集落なのです。

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