弥生時代の遺跡からは、当時の人々が生活のなかで使っていた様々な道具が見つかっています。
そして現代にはないそれらの道具には、さまざまな由来から名称がつけられてきました。
道具の名称の由来を知ることは、それらの道具をもっと深く知る手がかりになります。
では、弥生時代の道具には、いったいどんな由来を持った名称がついているのでしょうか。
時代を代表する弥生土器
弥生時代に使われていた道具というと、一番多く名前が挙がるものが弥生土器。
この弥生土器という名称の由来は、弥生時代に見つかったから、というわけではないのは意外に知られていません。
実は弥生土器という名称の由来は、初めてそれが見つかった場所にあります。
1884年、初めてつぼ型の弥生土器が見つかったのはなんと東京でした。
東京の本郷弥生町の向ヶ岡貝塚で発見されたため、その発見場所の名前を取って弥生土器という名称になったのです。
弥生時代に使われていたから弥生土器、という名称がつけられたわけではなく、見つかった場所が本郷弥生町だったために弥生土器、という名称がつけられたのです。
陶塤(とうけん)は
弥生時代に人が初めて楽しんだ楽器を知っているでしょうか。
銅鐸ではありません。
実は、当時いう、土で作られた笛がありました。
その笛こそ、弥生時代に人が音楽を楽しんだ初めての楽器だとされています。
山口県、島根県から鳥取県、そして京都など丹後半島一帯にある遺跡の三か所で集中的に発掘されているこの陶塤。
土笛ではなく、陶塤いう名称がつけられた由来は、中国にあります。
日本で出土した土で出来た笛、陶塤いう名前は、実は新石器時代から漢代にかけて、中国で出土する陶塤いう楽器に似ていると主張した国分直一に従ってつけられた名称なのです。
つまり、日本で発見された陶塤は中国に由来があるものだと考えられていたため、その名称がつけられたのです。
名前にまでなったのに
そんな由来を持つ日本の陶塤ですが、のちに驚きの発見がされました。
中国で見つかった陶塤に似ていたため、その名称で呼ばれるようになったのですが、よく調べてみると、中国で発掘された陶塤は日本の弥生時代の遺跡から発掘された陶塤と基本的な構造がちがっていることが分かったのです。
陶塤いう名称が定着したころにわかったこの事実。
そのため、現在では中国で見つかった陶塤は日本で見つかった陶塤と似通ってはいるものの、関係はないものだとされています。
しかし、つけてしまった名称を変えることはできず、現在でも陶塤いう名称のままなのです。
弥生時代の遺跡から発掘される道具には、様々な由来をもつ名称がつけられています。
そんな名称の由来には、その道具のもつ意外な事実や、ユニークな事実が隠れているので