現代では人とのコミュニケーションの大切さを度々耳にします。
そのコミュニケーションに欠かせないものが言葉。
世界で使われている言葉は様々ですが、お互い通じる言葉を使ってコミュニケーションをとっています。
では、中国や朝鮮半島などと交流があった弥生時代ではどのような言葉を使って、どのようにコミュニケーションを取っていたのでしょう。
漢字が伝わったのはいつ?
現代、日本人が当たり前のように使っている漢字は弥生時代の頃に日本に伝わってきました。
文字が伝わったのは弥生時代の中頃の事、とされていましたが、調査によって弥生時代の始まった時期自体がどんどん早まっていき、結果的に文字が使われ始めた時期も弥生時代の始まりが早まるのに合わせて早まっていったのです。
そもそも、弥生時代に文字が必要とされたのはそのころ交流のあった中国や朝鮮半島の人々との意思疎通や外交のためとされています。
弥生時代、人々は漢字という言葉を使ってコミュニケーションを図り、交易を行っていたのです。
卑弥呼にも漢字は必要?
中国や朝鮮半島の人々との意思疎通のために必要とされた文字や言葉。
それらによってお互いにコミュニケーションを図り、外交を行っていたのだと考えられています。
弥生時代にそのようにして中国や朝鮮半島と外交を行っていた人物がいます。
それが卑弥呼です。
邪馬台国を統べていた女王、卑弥呼は魏から金印などを賜ったと『魏志』倭人伝は伝えています。
その記述の中に目録を渡したと書かれている部分があります。
中国や朝鮮半島などと交易を行い、その際に目録を渡していたということは、お互い文字を理解し、言葉を交わしていたということ。
邪馬台国の女王、卑弥呼も中国や朝鮮半島と関係を深め、自身の立場をゆるぎないものとするためには相手に何かを伝える手段である文字や言葉は欠かせないものだったのです。
言葉以外の外見で伝えたものとは
交易を行うために必要とされた弥生時代の文字や言葉。
しかし、人々同士がコミュニケーションを図るのにはそれ以外のものも大きな意味を持ちました。
例えば、人の外見も自分の事を知ってもらう手段の一つ。
弥生時代では腕輪などのアクセサリーも数多く作られ、発掘されていますが、弥生時代の人すべてがアクセサリーをつけていたわけではありません。
アクセサリーの材料が手に入りにくいものだったこともあり、弥生時代にアクセサリーをつけることが出来たのは身分が上の人だったと考えられています。
更に、服にも身分の高い人と低い人とでは違いがあり、一目で身分の高さがわかるようになっていました。
弥生時代では、中国などや朝鮮半島との交易を進めるために文字や言葉などが必要とされていただけではなく、外見で身分の高さがわかるようになるなど、弥生時代の人は言葉だけではなく、様々な方法でコミュニケーションをとっていたのです。