日本人が主食とする米の栽培は弥生時代から始まり、現代にいたるまで続いています。
それほど日本人と米は長い歴史を持っているのです。
しかし、日本ではもともと米が自生している場所はありませんでした。
米は弥生時代の頃に日本に伝えられて広まった植物なのです。
そして米は徐々に種類を増やし、食べ方も工夫されていきます。
では、弥生時代の頃はどんな米の種類があり、どんな食べ方をされていたのでしょうか。
当時あったのはこんな米
弥生時代に日本に伝わってきた米。
当時栽培されていた米は形や大きさがまちまちで、多くの種類が育てられていました。
そして収穫された米は時代の流れとともに様々な食べ方をされるようになっていったのです。
弥生時代、食べられていた米の一つに赤米という種類があります。
その名前の通り、赤みがかった米ですが、この種類の米は当時の人々にとってとても育てやすい米でした。
湿田や乾燥気味のやせた土地でもよく育つといういい面をもった米だったからです。
その赤米を始めとして、弥生時代に育てられていた米の種類は多種多様でしたが、その中で育てる土地に合わせた種類の米が生き残っていくことになるのです。
米は蒸す?炊く?
稲が日本に伝わり、稲作が始まった弥生時代。
その弥生時代、米はおこわ状に蒸して食べられていたと以前は考えられていました。
しかし、その考えはとある発見によって覆されることになります。
当時の米の食べ方に関して、それまでの常識を変えたのはとある遺跡で発見されたものでした。
発見されたのは甕。
その甕自体は珍しい発見ではありません。
それまでの米の食べ方についての常識を一変させたのは、その甕の内側に残された痕跡でした。
甕の内側から米が黒焦げになって出てきたのです。
この発見から、弥生時代の人々は米を蒸して食べていたのではなく、窯で炊いて食べていたことが分かったのです。
こんな食べ方も
弥生時代の人々の米の食べ方が蒸して食べるのではなく、炊いて食べていたことが分かってきました。
しかし、弥生時代の人々の米の食べ方は更に変化していきます。
なかには現代でも食べられている食べ方もすでにされていたことがわかっています。
とある遺跡からは、現代でもだれもが知る米を使った代表料理の一つ、おにぎりが複数発掘されているのです。
更に、もち米を笹の葉で包んで蒸したちまきのようなものも発掘されています。
米が伝わり、稲作が広まっていった弥生時代には、ただ米を食べるだけでは終わりませんでした。
様々な米の種類の中からその土地にあったものを育て、更には現在でも知られているような米を使った料理も作られ、食べられるようになっていったのです。