弥生時代に使われていたトイレとは

弥生時代の集落からみつかるものからは当時人々が暮らしていたことがわかる痕跡が残されています。

しかし、さまざまなものが見つかる遺跡であっても、見つけるのが難しいとある意外なものがあります。

弥生時代の集落の遺跡から見つけるのが難しい、意外なものとは、なんとトイレ。

人々が暮らすところには欠かすことのできないものなのに、なぜ弥生時代の遺跡からトイレを見つけるのが難しいのでしょうか。

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トイレはどこに?

弥生時代の遺跡から見つけるのが難しいといわれるトイレ。

人が生きていく以上、どうしても必要なものなのに、なぜ遺跡から見つけるのが難しいのでしょうか。

その理由は、当時のトイレの仕組みにありました。

当時のトイレは、使用した後に痕跡を残さないいわゆる垂れ流し式の仕組みのトイレが一般的。

垂れ流し式のトイレの代表格といえば、川。

凝った建物を建てる必要もなく、もともとそこにある川を利用したトイレなどは痕跡が残りにくく、そこがトイレとして使われていたとはっきり言い切ることが出来にくいのです。

排泄する場所であるトイレが弥生時代の遺跡から見つけにくく、判断しにくいというのは、当時のトイレが垂れ流し式という仕組みを利用していたからだったのです。

虫を探せ?

トイレの施設を見つけるのが難しいとされる弥生時代。

トイレを探すには、弥生時代の人々の排泄物がどこにあるか、などを調べることが必要になります。

そして、その排泄物がどこに捨てられたかなどを調べる時に大きな助けとなるものがあります。

それが、糞を食べる虫や回虫卵など。

実際、弥生時代の池上・曽根遺跡の環濠内の土から回虫卵や糞などを食べる虫の残骸がみつかっています。

つまり、そこには弥生時代に排泄物が捨てられていたということを指しています。

しかし、環濠内なので、そこがトイレなのか、ただ排泄物を捨てる場所だったのかは判断しにくく、そこがトイレだと断言することはできません。

つまり、現在の調査では弥生時代の池上・曽根遺跡では環濠内はトイレだとは言えないものの、排泄物が捨てられる場所となっていたとはいえるのです。

基本的に垂れ流し式であることなどから、弥生時代にトイレだったと断言できる場所を探すのはとても難しい事です。

しかし、そんな弥生時代のなかでも、一部トイレではないという説もあるものの、これが日本初のトイレの遺構ではないかといわれているものはあります。

それがある弥生時代の遺跡が、弥生時代の終わりから古墳時代の初めの頃の奈良県纏向遺跡です。

トイレと考えられているものは、木を渡して作られた桶状の遺構です。

一見トイレなのか判断がつきにくく思えますが、そこの土を調べると、人の排泄物を利用する回虫が見つかったのです。

それ以前にトイレとされる遺構は見つかっていません。

そのため、この遺構が日本初のトイレの遺構なのかもしれないのです。

弥生時代の人々のトイレ事情。

実はまだまだ、謎に包まれたままなのです。

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