人々が生活を送るのに欠かせない家。
現代では建築家などが凝ったデザインの家を建て、それが名所となっているところも数多くあります。
安心して生活を送るために欠かせない家ですが、弥生時代の人々の生活している家も工夫がたくさん詰まった堅穴式住居と呼ばれるものでした。
では、弥生時代の人々が住んでいた堅穴式住居とはどんなものだったのでしょうか。
堅穴式住居ってどんな家?
弥生時代の人々が建てた建物にはいくつか種類があります。
堅穴式住居の他にも、高床建物や平地式建物など。
いくつか種類がある建物の中でも、倉庫に使われたり、人々の住まいとなったりというように建物によって使い道がある程度決まっていました。
そして弥生時代の人々は高床建物や平地式建物を食材などを置く倉庫に使い、自分たちの家を堅穴住居としていたことがわかっています。
堅穴式住居の作り方
弥生時代の人々が住んでいた堅穴式住居。
同じ弥生時代には柱をたてて建物を作る掘立柱建物がありますが、堅穴式住居はその逆。
地面を掘りくぼめて作られるものなのです。
まず地面を掘りくぼめたあと、次に家の骨組みを作ります。
そしてそこに藁や土などを使って屋根を作り、完成。
この作り方によって屋根が地面までふき下ろした状態となっていて、その姿から伏屋式と呼ばれます。
もう一つの堅穴式住居に比べて数が多く、主に弥生時代の人々はこのタイプを自分たちの住居としていました。
そして弥生時代の堅穴式住居のもう一つのタイプが壁立式と呼ばれるタイプです。
これはその名の通り、壁を作って屋根を支えているタイプです。
伏屋式に比べて数が少ないため弥生時代のどの集落でも見られるものではありません。
限られた大規模集落で見ることが出来るタイプであり、日本の農家の原型となったものだとされているのです。
集落をつくる堅穴式住居
弥生時代に人々が住居として使っていた堅穴式住居のほかに、掘立柱建物や平地式建物などがあります。
しかし、弥生時代で人々の家として一般的だったのはあくまで堅穴式住居でした。
とある弥生時代の集落では堅穴式住居が3つ、そして高床式倉庫が1つ、というまとまりが集まって集落を作り上げていました。
弥生時代の集落には堅穴式住居は欠かせないものだったことを物語っています。
更に、弥生時代の集落からは堅穴式住居を表現した家形土製品がみつかっており、その土製品を調べることで弥生時代の堅穴式住居が入母屋風の屋根の構造をしていたことがわかっています。
弥生時代の人々が作った堅穴式住居。
それには建て方によって外見がはっきり変わる2つのタイプがあり、そのうちの一つ、伏屋式の方が弥生時代の人々が住居として使っていたものなのです。