縄文時代から弥生時代へ時代が変わると、人々が暮らす生活には大きな変化が起きました。
鉄などが日本にやってきたことで、農業に使う道具作りなどの技術が発達し、より効率的な道具が作れるようになっていったり、人々の数が増え、その中に身分が出来上がっていったのも弥生時代の頃のこと。
そしてそれまでの生活では起こらなかった人同士の争いが弥生時代には起こるようになっていったことが知られています。
では、なぜ弥生時代にはそれまでなかった、人同士の争いが起こるようになったのでしょうか。
弥生時代だからこそ起こった、人同士の争いの理由とは?
争いを避けるには?
弥生時代になると、人同士の争いが起こり、その数も増えていきました。
しかし、戦わずにいられるならできれば戦いたくないと思うのは現代も弥生時代でも同じことだったようで、弥生時代の人々は争いを避けるための工夫をしていたことがわかっています。
では、弥生時代の人々が争いを避けるためにしていたことは?
その工夫の一つが、住む場所や環境を変えること。
集団で集落をつくり、暮らしていた弥生時代の人々は自分たちの暮らす集落の場所を工夫することで争いを避けようと考えました。
つまり、争いを避けたければ、争いを仕掛けにくく、戦いにくい場所に集落をつくればいい。
弥生時代の人々はそう考えたのです。
そうした理由で作られた弥生時代の集落が、高地性集落です。
高地性集落とは、山の高いところに作られた集落のこと。
普段生活するには少し不便ではありますが、争いの時には攻めにくい場所に集落をつくることで、弥生時代の人々は争いを避けようとしたのです。
いざとなったら戦う人々
弥生時代に争いを避ける工夫をしていた人々ですが、そうした中でも争いは起こります。
そんなときのために、弥生時代の中頃や後期には集落に見張り台が出来たり、砦のような集落がみられるようになっていきます。
弥生時代の集落に様々な変化がみられる理由の一つとは、弥生時代に争いを避けようとしながらも、いざとなれば危険をいち早く感じ取り、戦えるようにするためなのです。
そんな争いの理由とは?
では、弥生時代にそんな風に人同士の争いが増えたのにはどんな理由があったのでしょうか。
争いが起きる一番大きな理由とは、食べ物を手に入れるためだったとされています。
弥生時代には稲作が広まるとともに、その収穫物を保存し、備蓄食料が集落に置かれるようになりました。
その備蓄食料こそが弥生時代に人同士の争いが起こったきっかけだったのです。
それまでになかったはずの人同士の争いが起こった弥生時代。
その争いの理由とは、備蓄食料をめぐってのことであり、そのころの遺跡を調べることで、弥生時代の人々が争いを避ける工夫をしつつ、いざ戦うときのためにも工夫や準備をしていた姿が浮かび上がってくるのです。