日本の遺跡からは様々なものが発掘されてきました。
弥生時代の遺跡からも、当時のものが数多く発掘され、弥生時代の人々の生活の様子を物語ります。
では、今まで発掘されてきたものの中で、弥生時代の遺跡から発掘されたアクセサリーは一体当時のどんなことを物語っているのでしょうか。
当時なかったアクセサリーは?
弥生時代の遺跡からは、アクセサリーが発見されており、当時の人々の中にアクセサリーをつけて身を飾るという文化があったことがわかっています。
弥生時代のアクセサリーといっても数多くの種類がありました。
指飾りや首飾りはもちろん、くしやかんざしも弥生時代にはすでにあったのです。
現在のように数多くの種類が見つかっている弥生時代のアクセサリーですが、その中では弥生時代にはあまり見かけないものもあります。
それが、耳飾りです。
現在まで弥生時代の遺跡などからは耳飾りはあまり発見されてはおらず、当時の社会では耳飾りはあまり一般的ではなかったことが読み取れるのです。
アクセサリーは誰のもの?
弥生時代には様々なアクセサリーが作られていたことがわかっています。
しかし、そんなアクセサリーを当時の誰もが身につけていたわけではなかったようです。
では、いったいどんな人々がアクセサリーを身につけていたのでしょうか。
それを知る手がかりはアクセサリーの素材にありました。
例えば、弥生時代には貝やガラスなどを使ったアクセサリーが見つかっています。
ただ、その素材となったものの中にはなかなか出回らないものもありました。
例えば、貝を素材としたアクセサリーならば、沖縄近くの海でしか取れなかったものを使ったものが発見されていますが、そういったものは当時なかなか手に入らない貴重品でした。
つまり、そんなものを身につけられる人といえば、下級階層ではなく、何かしら特別な身分の人々だったと考えられるのです。
特別な人々、例えば司祭者など。
更に、腕輪などは労働などを行うには不向きなものでした。
そのことからも、腕輪などのアクセサリーをつけていたのは労働しなくていい立場であり、高い身分の人々だったと考えられるのです。
当時の腕輪はどんなもの?
当時の腕輪などのアクセサリーには、貝や青銅、鉄、ガラスなどを素材にしたものがありました。
中でも、「ゴホウラ」と呼ばれる大型の貝を素材としたアクセサリーがありましたが、この「ゴホウラ」、実は沖縄近くの海底で獲れるものであり、一つの貝から腕輪一つしか作れないという貴重なものでした。
そんな腕輪を使っていたのは主に北部九州の人、しかも男性限定だったとされています。
更に、付け方として、両腕を合わせて41個つけていた人物がいたことも。
弥生時代のアクセサリーは現在とはその付け方も違っているうえ、アクセサリーをつけるという事は現在よりも大きな意味を持っていたのです。
