縄文時代から弥生時代にかけて、朝鮮半島から金属器が日本に伝えられました。
最初は北部九州へ、そして北部九州から日本各地に広まっていった金属器。
鉄器や青銅器などの金属器はほぼ同時に日本に伝わり、弥生時代の人々の暮らしに合わせて変化し、使われるようになっていきました。
では、そんな弥生時代の青銅器と鉄器の違いとはどこにあるのでしょうか?
世界最初の金属?
日本に伝えられた青銅器や鉄器。
製作技術や方法なども一緒に伝えられたこういった金属器は、日本に伝わった初めの形や使用法を変化させつつ、徐々に全国へと広まっていくことになります。
そんな金属器の一つである青銅器。
青銅器は銅鉄石と錫をあわせて作られたものであり、世界最初の金属器といわれています。
青銅器と鉄器が伝わったのはほぼ同時でしたが、青銅器の方がわずかに早く伝わったとされているのです。
また、弥生時代より前の縄文時代にも大陸との交易がおこなわれていたことがわかっています。
その縄文時代に行われた大陸との交流で日本にやってきたとされる青銅刀子という青銅器が三崎山遺跡で見つかっています。
更に、青銅器は銅鐸などの祭器の材料としてもよく使われるようになっていきました。
効率化のためには鉄器?
弥生時代の頃に青銅器とほぼ時を同じくして伝えられた鉄器。
鉄器はまず初めに朝鮮半島から北部九州にもたらされました。
最初にもたらされた地域だということもあって、北部九州の遺跡では鉄器がたくさん見つかっています。
その北部九州を始めとし、弥生時代の日本で広まった鉄器は農耕具として姿を変えることが多く、実用性の高い製品として日本の生活に馴染んでいきました。
こうしてそれまで石斧だったものが鉄斧となるなど、人々の暮らしをより豊かに、より楽にするものとして鉄器が重宝されるようになっていき、青銅器は実用品ではなく祭器などに重宝されていくのです。
実用品は鉄器がお勧め?
ほぼ同じころに伝わってきた鉄器や青銅器。
その違いは、日本に伝わってきてからの使われ方にもあらわれます。
青銅器は、徐々に人々の暮らしに欠かせない祭りに使う祭器として銅鐸などの材料に使われました。
最初は実用品としても伝えられていたのですが、弥生時代の人々の生活に合わせ銅鐸などの祭器として使われることが多くなったのです。
一方、鉄器は鉄斧など、人々が日常的に使う道具の材料として使われることが多くなっていきました。
鉄で作られた道具は人々の暮らしの効率化にとても役立ったのです。
弥生時代の青銅器と鉄器の違いはここにあらわれます。
つまり、実用品として人々に受け入れられたか、そうでないか。
青銅器は銅鐸など、実用性はないものの祭器として重宝される一方、鉄器は人々の日常的な暮らしを楽にする実用性のある道具として使われるという変化を遂げていったのです。