弥生時代の地域社会の暮らしとは

地域社会は、コミュニティー、または生活共同体とも言い換えることが出来ます。

つまり、人が暮らしている集団のこと。

現代では、人が関わる地域社会の規模がどんどん大きくなっています。

実は弥生時代も同じように、人が生活する場となる地域社会の規模がどんどん大きくなっていった時代でした。

では弥生時代では、地域社会の規模が大きくなったことでどんな変化があったのでしょうか。

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大きくなったコミュニティー

弥生時代は縄文時代に比べて、一緒に暮らしている人々の集団がどんどん大きくなっていきました。

それもそのはず。

弥生時代では稲作などの穀物栽培が始まり、食料がある程度安定してとれるようになったこともあり、人口が一気に増加した時代だったのです。

人々の数が増えたためにその集団も大きくなり、弥生時代の人はより大きな地域社会の中で暮らすことになっていったのです。

整ってきた社会のルール

人々の集団が大きくなり、より大きな地域社会の中で生きるようになると、必要となってくるのがその地域社会の中でのルールです。

実際、人口が増えた弥生時代にはその地域社会の中でいくつかのルールが生まれていきました。

人が暮らすためのルールや地域社会の中で通用する制度が整っていったのです。

弥生時代にあった有名な邪馬台国を例に出して見てみると、まず地域社会の中で身分がはっきりしていったことがわかっています。

大人、下戸と呼ばれる身分が生まれ、上下の差がはっきりつくようになったのです。

更に女王として卑弥呼と呼ばれる女性がいたことからわかるように、人々の集団を統治するための組織の形がある程度整い、租税や罪を犯した人に対して行う刑罰の制度も整いました。

更には、邪馬台国では市もひらかれていたことがわかっています。

縄文時代に比べ、それぞれの人々がルールを守り暮らす地域社会が弥生時代になって一気に出来上がっていったのです。

人々が暮らす場所と人の見た目

様々な制度が作られた弥生時代の社会。

その人々が暮らすための環境も縄文時代に比べて大きな変化を遂げました。

人口が増えて集団が大きくなったことで、集落は大きくなり、深い濠や土塁をめぐらした防御施設がある環濠集落がみられるようになっていったのです。

これは、外から食料を狙ってやってくる敵に対抗するためのもの。

弥生時代になって食料がある程度安定してとれるようになったことで人口が増えましたが、その食料をめぐる争いもまた増えるようになっていったのです。

また、その集落の中での身分の差も見た目ではっきりわかるようになっていきました。

身分が高い人は例えばヒスイを素材とした腕輪など、手に入りにくいアクセサリーをつけ、更に色がついていたり、文様が入っていたりと手の込んだ衣服を着ていたことがわかっています。

弥生時代では、様々な制度が加わっただけではなく、防御施設があったり、身分の差が生まれたりするなど、人々が暮らす地域社会が大きく変わっていったのです。

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