弥生時代に行われた貿易の相手とは

縄文時代から弥生時代に入ると、稲作が始まりました。

しかし、稲作は日本で突然始まったわけではありません。

稲作の文化は日本の外、海外から日本の中に入ってきて、人々の生活、文化を変えていったのです。

弥生時代の日本にとって、他の国々から受ける影響はそれほど大きなものだったのです。

そんな風にそれまでの人々の生活を変える新しい文化や物がやってきたのは、弥生時代の日本と関わりのあった周辺の国々でした。

弥生時代、特に深く関わり、貿易をしていた国は?

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2つの貿易相手とは?

弥生時代の日本にとって、とても重要だった貿易相手が2つあります。

それが、朝鮮と中国です。

弥生時代にはその二つの国が重要な貿易の相手として一番に挙げられる国なのです。

そうして朝鮮や中国と弥生時代の頃の日本はかかわりを深め、貿易を続けていきます。

また、貿易をする際、日本側は九州を窓口として、貿易だけではなく、様々な交流を深めていったのです。

九州であった意外な交流

日本が弥生時代だった頃、他の国々との貿易の窓口は九州となっていました。

そのことを示すように、九州からは朝鮮から来たと思われる土器がたくさん発見されています。

同じように、日本と当時貿易や交流を行っていた他の国からは弥生土器が見つかっており、当時の日本と他の国の人々が盛んに行き来していたことがそのことから読み取れるのです。

貿易の品となるものは多く、中国からは金印が、朝鮮からは鏡や青銅製の武器がよく日本へ送る貿易品となっていました。

広がる交流

弥生時代の人々と朝鮮や中国は貿易を行っており、それらでもたらされる品物や文化によって日本は大きな影響を受けました。

しかし、貿易によって大きな影響を受けたのは日本だけではなく、中国や朝鮮も同じでした。

日本では貿易でもたらされた武器や青銅製の道具などが多く見つかっています。

しかし、逆に日本から他の国へ渡り、影響を与えていったものもあります。

例えば海外のある地域の遺跡からは九州で作られた銅矛などが見つかっています。

日本の事ばかりに注目が集まりがちですが、弥生時代の日本は韓国や中国以外の他の国や地域とも交流を持ち、こちらからも影響を与えていたのです。

そして弥生時代の日本が海外の国々との貿易の窓口としていた九州は当時の日本に大きな影響を与えた鉄器や鉄素材などを扱うなどの実用面、そして政治的な面をそれぞれ貿易を行っていた国から学んでいったのです。

弥生時代、現代ほど多くの貿易を行っていたわけではありませんが、他の国々との貿易で日本は多くの影響を受け続けていったのです。

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