現代には様々なお菓子があふれています。
名前を言われてもわからないお菓子があるほど多くの種類のお菓子が日本にある現代。
お菓子は洋菓子や和菓子など、大まかに区別することが出来ます。
その一つ、和菓子はずっと日本で愛されてきたお菓子です。
しかし、実はそんな長い歴史を持つ和菓子は弥生時代の人々も食べていたのです。
弥生時代の人々が楽しんでいた和菓子とは?
お菓子を指すものとは
弥生時代のころから人々はお菓子を食べていました。
しかし、現代のような砂糖などを使って見た目もきれいに作られたお菓子ではありません。
弥生時代に人々が食べていたお菓子は果物と木の実であり、それこそが現代のお菓子のルーツなのです。
縄文時代から食べられていたこれらの果物や木の実ですが、弥生時代にはそれらのとらえ方が変わります。
もともと主食として食べられていた果物や木の実が弥生時代には嗜好品、そして菓子として食べられるようになっていったのです。
つまり、主食は別に食べ、それとは別に少しおなかがすいた時に食べるものとして果物や木の実が食べられていたのです。
団子もあった?
縄文時代には、すでにどんぐりを食料としていましたが、弥生時代でもそれらの木の実の食べ方として、細かくすりつぶし、丸めて食べていたと考えられます。
つまり、どんぐりで作った和菓子の団子のようなものが当時食べられていたと考えられるのです。
同じく和菓子の団子のように加工された食材はどんぐりだけではなく、粟やキビなど。
弥生時代の人々はそれらを団子にしたうえで間食として食べていたのです。
ほかに弥生時代に食べられていたお菓子には果物がありますが、どんな果物があったのでしょうか。
果物も弥生時代には多くの種類がありました。
例えば、柿、桃、スモモなどが弥生時代に食べられていたものです。
当時、木の実とともにそれらの果物もお菓子として食べられていたのです。
更に和菓子らしく!
更に、弥生時代には木の実や果物だけの間食のほかに、現代でも通用しそうな和菓子が食べられていました。
その二つがちまきと干し芋です。
焼き米、といってモミのまま米を焼いて食べることもありましたが、同じようにひと手間かけて作られていた弥生時代の和菓子が、ちまきと干し芋でした。
現代でも見かける干し芋は芋を干して作った和菓子です。
そして石川県の杉谷チャノバタケ遺跡からは、なんと、もち米を笹の葉などで包んで作る現代でいうちまきのようなものが発見されています。
実はちまきは平安時代から食べ始められたと考えられていたのですが、弥生時代の人々も現代に通じるちまきのようなものを作り、食べていたのです。
現代のように、手の込んだ甘いお菓子はないものの、弥生時代でも和菓子の定番である団子や干し芋などを作り、おなかがすいた時にそれらを間食として食べて楽しんでいたことがわかります。
現代とは全く違う弥生時代。
しかし、現在私たち日本人が和菓子を食べて楽しむように、弥生時代の人々も間食としてちょっとしたお菓子タイムを楽しんでいたのかもしれません。