縄文時代に使われていたのは縄文土器、弥生時代に使われていたのは弥生土器。
そのように時代ごとに様々な特徴のある土器が生まれ、使われてきました。
そして弥生時代のあとに訪れた古墳時代にあらわれたのは須恵器という土器でした。
弥生時代の弥生土器と須恵器には何か関係があるのでしょうか。
目次
海外からやってきた須恵器
須恵器は古墳時代から平安時代にかけて使われていた土器の一つです。
色は青みがかった鼠色。
しかし、実はもともと日本で作られ始めたものではありません。
須恵器のルーツは朝鮮半島にあります。
須恵器は5世紀末に作成技術とともに日本にやってきたのです。
そのころ日本にあった土師器は弥生時代にあった弥生土器の流れをくむものだった一方で、須恵器は弥生土器とはもともと何の関係もないものだったのです。
須恵器の使い道とは
しかし、弥生時代の弥生土器と同じように高坏や皿などとして須恵器は使われていました。
さらに、朝鮮半島からやってきて日本で作られるようになったことで、須恵器には徐々に独特の形や文様が刻まれるようになるという変化が起きます。
弥生時代の弥生土器の流れをくむ土師器も須恵器と同じころに食器や煮炊き用として使われ、同じように高坏や皿といった種類が使われていましたが、その外見は須恵器とは違い、装飾的な文様はなかったことが特徴の一つです。
更に須恵器で一番見つかっているのがセットにして使われる蓋と坏。
これは時代によって形が少しずつ変わるため、発見されたものの形を見るといつ頃に使われていたのかを知る大きなきっかけになります。
知っておきたい須恵器の発掘現場
日本に伝わり、作られるようになった須恵器。
それは食器だけではなく、日常的な貯蔵用、更に古墳の副葬品などといった用途でも使われていました。
そんな風に古墳時代に重宝されていた土師器と須恵器。
そんな須恵器に関わる場所のなかでも須恵器の生産地として名高いのが、陶邑古址群です。
陶邑古址群は日本の須恵器生産地として最も古い部類のものがあり、窯の跡が1000基以上もあったことが確認されているなど、その大きさも最大級の須恵器生産地なのです。
そのため、陶邑古址群は須恵器を知るうえで、更に日本でどのように須恵器が生産されていたのかを知るためにもぜひ覚えておきたい場所なのです。
古墳時代から平安時代まで使われ続けた須恵器。
同じ時期に使われていた土師器は弥生時代の弥生土器の流れを汲んでいますが、須恵器は朝鮮半島から伝わってきたもの。
その須恵器が古墳時代の日本で生産され、様々な用途で使われるようになると、日本に合わせて変化し、馴染んでいったことが須恵器がたどった歴史を見ていくとわかってくるのです。