現在、日本は世界の中でも平均寿命が長い国の一つに名を連ねています。
しかし、逆に平均身長は低め。
平均寿命が長くなったのは、医療が発達したおかげともいわれています。
では、医療が発達していなかった頃は?
例えば、弥生時代の頃の平均身長と平均寿命はどのくらいだったのでしょうか。
そして、それはどうやってしらべるのでしょうか。
手がかりは人骨に
弥生時代の平均寿命と平均身長を調べる時に、まず調べるべきものは遺跡から見つかる墓です。
弥生時代の墓から発見される人骨、そしてそれらの人骨が葬られている甕棺などが当時の平均身長や平均寿命を知るために重要なカギを握っているのです。
そうやって調べた結果、弥生時代の人々は縄文時代の人々よりも背が高かったとされています。
実際、調べられてきた弥生時代の集落の遺跡から見つかった人骨からわかる平均寿命や平均身長についてみてみましょう。
平均寿命が短いのは、なぜ?
遺跡から発見される人骨を調べると、弥生時代の平均身長や平均寿命がわかってきます。
それらは集落ごとに変わっていますが、例えば福岡市金隈遺跡から見つかった人骨でわかった平均寿命は大体18歳。
現代の日本よりもぐっと若い年齢が平均寿命だったのです。
さらに、福岡県小郡市横隈狐塚遺跡では少し伸びるものの、約28歳が平均寿命となっています。
この二つを含め、北部九州の平均寿命は男性約23歳、女性は約22歳です。
しかし、なかには60年以上生きた人物も見つかっています。
それほど長生きした人がいたのに平均寿命が短い理由、そして集落ごとに大きく平均寿命が違うことには理由がありました。
鍵を握るのは子供です。
実は、弥生時代は乳幼児の死亡率がとても高く、まだ幼いうちに亡くなることが珍しくなかったのです。
幼くして亡くなる子が多かったために、弥生時代の人々の平均寿命も大きく下がっていたのです。
平均身長は?
平均身長も人骨や甕棺を調べるとわかってきます。
北部九州の人たちは渡来系の人々が多かったことも一因とされますが、平均身長が高い地域でした。
その平均身長は男性が約164㎝、女性は約150㎝だったとされます。
一方で、同じ弥生時代の東日本や西北九州の平均身長はそれよりも低いのです。
その地域では、ほぼ縄文時代と変わらない身長であり、男性は158㎝、女性は148㎝だとされているのです。
そのように平均寿命だけではなく、平均身長についても地域によって大きく変化がみられていたのです。
弥生時代の遺跡から見つかる人骨や甕棺を調べてわかる平均身長や平均寿命。
なぜそんな違いが出てくるのか、なぜ平均寿命や平均身長が高いのか、または低いのか。
それには、それぞれ理由があるのです。