縄文時代に比べて、弥生時代の人々は多くの新しい文化や技術を手にして暮らしていました。
そして、人々の暮らしを変えた新しい文化や技術の多くは、大陸から日本に渡ってきた渡来人がもたらしたものでした。
渡来人が伝えたもので、弥生時代の人々の生活を変えた技術や文化は一体どのくらいの数があったのでしょうか。
渡来人たちが持ち込んだものとは
弥生時代のころ、朝鮮半島などの海外からは一定の数の人々が日本にやってきたとされています。
こうして日本にやってきた人々を渡来人とよびます。
渡来人たちは、朝鮮半島などから日本にやって来るときに、それまで日本にはなかった文化や技術を一緒に持ち込み、伝えました。
その際に一体どれだけ伝えたものがあるのかはわかっていないほど。
そしてそうやって渡来人が日本に伝えたものは弥生時代の日本に大きな影響を与えたのです。
渡来人が弥生時代の日本に一つの道具を伝えた時、その道具だけではなく、その道具を使うための技術やその道具にまつわる文化も一緒に伝わります。
つまり、渡来人が伝えたものが道具一つだけであっても、伝えたものの数は一つではなく、複数となるのです。
どんなものが伝わったか
渡来人たちがそうして日本に伝えたものの数は多く、弥生時代の日本を変えていきました。
例えば、稲作や鉄、錫の合金である青銅などの金属器も渡来人が日本に伝えたものです。
そして稲作では稲を育てる技術と食料を自分たちで作るという文化が、そして金属器が伝えられたことでそれまでの道具よりも更に丈夫になった農具などがつくられるようになり、日本の農作にも影響を与えました。
他にも、機織り技術が伝わり弥生時代の人々の服装が変わりました。
そして朝鮮半島の鈴に起源をもつ銅鐸も日本に伝わりますが、もともと朝鮮半島では実用品として使われていたのに、日本に渡ったあと、やがて祭祀用として変化していきました。
弥生時代に渡来人が伝えたものの数とは、少し書き出すだけでもこれほどあり、更に一つの道具が伝わった時にはそれにかかわる技術も一緒に伝わって広まっていったのです。
弥生時代はこうして作られた
渡来人が様々な道具や文化、技術を伝えた弥生時代。
その数は数えきれないほど。
たった一つの道具を伝えただけでも、それにかかわる文化などが自然に伝わることになるからです。
そして、日本の弥生時代は渡来人が伝えたものがなければ成立しませんでした。
弥生時代に欠かせない稲作、金属器、機織り技術。
すべて渡来人たちが日本に伝えたものです。
そして伝えられたものはさらに日本の文化に合わせて発展、変化を遂げていきました。
そのため、渡来人たちが伝えたものの数ははっきりとはわからないまま。
弥生時代の文化は渡来人たちの伝えたものを踏まえて成り立っていったのです。