弥生時代のメイクの目的は

現代では、メイクといえばもっぱら女性がするものであり、時代や季節によってその時流行しているメイクについて雑誌で特集が組まれるなど、女性たちにとって感心が高いテーマです。

時にはおしゃれのために、また時には社会人としてのマナーともいわれるメイクですが、実は日本では弥生時代にはすでにメイクをした人々がいました。

ずっと昔から人々が行っていたメイク。

弥生時代の人々は、何の目的でどんなメイクをしていたのでしょうか。

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メイクを知る手がかりは?

弥生時代にはすでにメイクをしていた人々。

しかし、当時実際されていたメイクはどんなものだったのかを知るにはどうしたらいいのでしょう?

手がかりは2つ。

まず一つ目の手がかりは弥生時代の人々が残した絵や作っていた像です。

弥生時代の人々は当時の遺跡から発掘される銅鐸などに、様々な絵を書き残しています。

絵だけではなく、人を模した像が発見されることもしばしば、

弥生時代の人々が残したそれらの像が当時のメイクの事を知る手がかりになってくれるのです。

そして二つ目。

これはメイクに限らず、当時の日本の事を知る大きな手掛かりになる『魏志』倭人伝です。

そこでは当時の日本の事を書き残している部分があり、メイクについても書き残されているのです。

男だけのおしゃれ?

そこに書かれている文のなかに、「男子は大小なく、皆鯨面文身す」という一文があります。

「鯨面」とは、顔にする刺青の事。

「文身す」というのは、体にする刺青の事です。

弥生時代の日本では、男性は大人も子供も関係なく、顔をすくめ、全身に刺青をほっていたというのです。

そして、刺青のほかにも弥生時代に行われていたメイクがあります。

それが、赤化粧。

赤土を顔に塗り、赤く染める事です。

どうしてそんなメイクをしていたことが分かったかというと、それが先ほど紹介した弥生時代の遺跡から発掘された、人々の手作りの造形物に大きな手掛かりが残っていたからです。

弥生時代の人々が残してくれた造形物。

この顔の部分を調べると、そこには赤い顔料がつけられていたことが分かったのです。

しかも、縄文時代の人々がつくった土偶からも赤い顔料が塗られた像が発見されています。

昔のメイクは、赤化粧だったのです。

メイクの目的は?

現代では、おしゃれや社会人としてのマナーなど、メイクの目的は人によってそれぞれ。

では、弥生時代のメイクの目的とは、何だったのでしょうか。

男性がしていたという刺青は、それぞれ大きさなどが違っていました。

その大きさの違いや位置で社会的な身分の差を示す目的だったといわれています。

一方、赤い顔料を顔に塗った理由ははっきりとはわかっていませんが、鎮魂や魔よけのためだといわれています。

現代でも欠かせないものとなっているメイク。

その始まりは、弥生時代の赤化粧にあったのです。

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