弥生時代になると、縄文時代とは違って人同士の争いが起こるようになります。
人同士が戦争を行う時代であった弥生時代には、集落も防御施設が整うようになったほど。
縄文時代と違い、人に対して武器を向けるようになった弥生時代。
では、その戦争で使われていた武器はどんなものだったのでしょうか。
骨で戦いがわかる?
弥生時代には戦争が起こり、人に対して武器を向けるようにもなりました。
人に対して武器が向けられたことは弥生時代の遺跡から発掘される弥生時代の人々の骨から知ることが出来ます。
弥生時代に埋葬された人の骨からは戦いでついたとみられる傷が残っていたり、体内や骨に武器の一部が残ったままだったりするからです。
つまり、殺された痕跡が残っている人骨が弥生時代には見られるようになったのです。
その一つに磨製石鏃が左大腿骨に突き刺さった状態で発見された男性の人骨があります。
この石鏃を調べると、もともと10㎝を超えた長さがあったと考えられています。
縄文時代に比べ、弥生時代に武器として使われていたものはより大きくなるなど巨大化が進んでいました。
弥生時代には、人を傷つけるために道具がより大きくなっていったこと、そして引き起こされた戦争で殺された人がいたことが弥生時代の遺跡から見つかる埋葬された人骨でわかるのです。
副葬品?実用品?
弥生時代には戦争で亡くなり、埋葬された人の骨から使われた武器の一部が発見されることがあります。
つまり、そうやって見つかった武器は戦争の時に使われた実用品なのです。
しかし、実は武器は戦争で使われるだけではありません。
弥生時代で武器は副葬品としても使われていたのです。
例えば弥生時代の初めのころの墓からは細長い磨製石鏃がよく発掘されます。
これも副葬品とされたものの一つ。
当時細長い磨製石鏃は副葬品として出土することが多かったのです。
弥生時代には人を傷つけるために実用品として使われる武器もあれば、一方で副葬品として人とともに埋葬される武器もあったのです。
人に対し使われた武器とは
弥生時代に使われていた石製短剣の中には朝鮮半島で見つかっているのとそっくりのものも見つかっています。
これは朝鮮半島から武器の製作技術や方法が伝わってきたことを意味します。
そしてその石製短剣が見つかった遺跡の一つが福岡県のスダレ遺跡。
ここで見つかった石製短剣は人骨に切っ先が突き刺さった状態で見つかりました。
つまり、実用品として使われた武器となっていったのです。
朝鮮半島から武器、そして製作技術や方法など、数多くのものが伝わってきた弥生時代。
その中でも武器は副葬品としてだけではなく、実用品として人同士の戦争に使われるようになっていったのです。