縄文時代、人々は集団で暮らしていたものの、身分の差がない暮らしを送っていました。
しかし、縄文時代から弥生時代にかわると、それは一変します。
同じように集団で暮らしながらも、その中で身分の差が生まれ、様々な役割を持つ人々が出てきたのです。
人々の中には、とりわけ力を持つ有力者が現れるようになりました。
その有力者とは?
そして、その役割とは?
必要だった有力者
縄文時代と違い、稲作が始まった弥生時代。
食料を保存しておくと、それを狙って争いが起こるようになりました。
そんな弥生時代に国を守り、暮らしていくには、人々を導くための有力者が必要になってきたのです。
有力者は争いごとが起こると、その戦いに勝つために人々に指示をだし、指導していくなど、争乱の時代である弥生時代を生き抜くために必要とされた役割を担っていたのです。
副葬品で役割がわかる?
弥生時代の墓を調べた時に副葬品が見つかることがあります。
この副葬品、実はその墓に葬られている人物が有力者かどうかを見分ける大きな手掛かりになるのです。
弥生時代には身分の差が出来ていましたが、その差は副葬品にも現れます。
副葬品が何もない時もありますが、逆に多く見つかった場合、その人物は弥生時代で何らかの役割を担っていた有力者かもしれません。
たとえば、当時なかなか手に入らず、貴重品であったヒスイの勾玉のアクセサリーが副葬品として見つかった場合、その人は身分の低い人物ではなく、弥生時代の集団の中で何らかの役割を担うなどしていた重要人物だという疑いが一気に高まるのです。
そんな重要な手掛かりとなる副葬品は時にその人物の職業をも語ります。
貝や木、ガラスの腕飾りなどの副葬品とともに葬られた人がいたとすれば、その人は弥生時代の司祭者だった可能性があがることがわかっているのです。
国を率いる王
弥生時代になり、周辺の集落を吸収する形で今までより大きな集落が発生します。
それが弥生時代の国。
その国には、身分の差とともに、人々を支配し、指導する有力者が誕生していました。
当時の祭祀を行う司祭者も有力者、人々を争いの時に指導するものも有力者。
そして、弥生時代にあった邪馬台国の女王、卑弥呼ももちろん有力者の一人です。
卑弥呼の役割は、国を治め、人々を導くことでした。
弥生時代、人々が入り混じって争った末に国を導くものとしてたてたのが邪馬台国の女王、卑弥呼だったのです。
卑弥呼を王に据えることによって、それまで続いた長い戦いは幕を閉じたのです。
争いや身分の差が生まれた弥生時代。
そんな時代の中で、有力者は他の人々をまとめ、行く末を照らし、導いていくという大きな役割を担っていたのです。