縄文時代や弥生時代の事を知るには、その当時人々が暮らしていた痕跡の残る遺跡を知ることが欠かせません。
今までに発見され、調べられている遺跡は数多くありますが、その中から弥生時代の代表的な遺跡をいくつか紹介します。
目次
稲作は縄文時代から?
まず一つ目に紹介する弥生時代の代表的な遺跡は板付遺跡です。
この板付遺跡は現在見つかっている遺跡の中でも、菜畑遺跡と並んで日本で一番古い水稲耕作のある遺跡だとされています。
この板付遺跡で人々が暮らしていたのは縄文時代の終わりごろから弥生時代の頃。
弥生時代に使われていた水田跡の下から縄文時代の水田跡が見つかったのです。
水田だけではなく、板付遺跡は土器でも有名です。
この遺跡から見つかる土器は弥生時代最古のもので板付土器の様式の様式とされています。
そして、その土器は弥生文化の始まりに迫るための大切なきっかけとなるのです。
板付遺跡は弥生時代の初めごろの稲作の様子や、弥生時代の文化を知るきっかけを与えてくれる代表的な遺跡なのです。
地蔵田遺跡の注目ポイントは?
更に稲作つながりでもう一つ、代表的な遺跡があります。
それが地蔵田遺跡。
弥生時代になると、稲作が日本各地に広がっていきましたが、広がるスピードによって稲作が始まる時期は少しずつ違っていました。
特に東北では稲作が伝わり、根付くのが遅くなりました。
地蔵田遺跡は東北の稲作の様子だけではなく、東北で農耕の始まった時期を特定するために重要な意味を持っている代表的な弥生時代の遺跡なのです。
更にこの遺跡で人々が暮らしていたのは旧石器時代から縄文時代、そして弥生時代の初め頃など、いくつかの時代に渡って使われてきた複合遺跡だということも知っておきたいポイント。
そしてその遺跡は人の住むところの周りを木の柵で囲んでいるという他の遺跡ではあまり見られない特徴もあります。
地蔵田遺跡は多くの事を知ることが出来る代表的な遺跡なのです。
北陸の鉄製品について知るには?
弥生時代は金属器や稲作など多くのものが伝わり、広まっていった時代です。
そんな弥生時代に広がっていったものの一つに鉄製品があげられます。
農耕具が鉄製品になることで農作業の効率がアップするなど、それは弥生時代に多くの影響を与えました。
そんな鉄製品などがたくさん発見された遺跡があります。
それが林・藤島遺跡です。
ここで人々が暮らしていたのは弥生時代の終わりから古墳時代の初め頃。
この遺跡からは石製のアクセサリーやそれをつくるための鉄製の工具がたくさん発見されています。
そしてそれこそがこの遺跡が弥生時代の代表的な遺跡の一つとしてあげられる理由です。
多くの鉄製品が発見されるこの遺跡を調べることによって弥生時代の北陸でどのように鉄製品が受け入れられていったのかを探ることが出来ます。
林・藤島遺跡は弥生時代の北陸の文化を知るための大きなきっかけとなる代表的な遺跡なのです。
日本で現在までに見つかっている遺跡は多く、そこから様々な発見がされています。
今回名をあげた遺跡は、弥生時代の様々な面を知ることが出来るきっかけを持っている代表的な遺跡なのです。