弥生時代の身分について

弥生時代は身分の差というものが初めて人々の集落の中で発生した時代です。

弥生時代になる前は人々の集落の中で身分の差はなかったとされているのです。

しかし、そもそもどうやって身分の差が発生したことを私たち現代人が知ることが出来たのでしょうか。

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身分は3つ?

身分の差が発生した弥生時代、当時あった国、邪馬台国では大きく分けて3つの身分があったことがわかっています。

まず、一つ目が大人と呼ばれる身分。

これは集落の中で支配層に当たる、高い身分を持った人物です。

次に大人という身分ではないものの、一般的な身分として下戸があります。

そしてもう一つ、下戸の下に位置する身分があります。

それが生口という身分。

この生口は弥生時代の邪馬台国にあった身分の中で最も下の階層の身分でした。

また、それら3つの身分以外にも、弥生時代には王・女王がいたり、支配階級である大人層
の中でも格差があったりと、縄文時代とは打って変わって多くの身分が誕生し、その中の格差も広がっていった時代だったのです。

身分でする仕事は違う?

弥生時代にあった3つの身分。

関わる仕事はそれぞれの身分によっても変わってきました。

まず、一番高い身分である大人。

支配層である大人の人々は農業には関わらなかったといわれています。

代わりに、農業などの監督や行政、生活的な活動を主に行っていたと考えられます。

大人の次に高い身分である下戸の人々は一般的に労働奉仕に従事していました。

そして弥生時代で一番下の階層である生口。

生口に関しては詳しくはわかっていませんが、中国の『魏志』倭人伝の生口についての記述があります。

それによると、生口は中国へ献上されることもあったと書かれており、大人層に隷属する捕虜のようなものだったと考えられているのです。

身分によってこんなものも違った!

弥生時代、身分によってさまざまな違いが表れてきました。

それは亡くなった人が葬られた墓の様子からも読み取ることが出来ます。

弥生時代は大きな墳丘を持つ墓、そして多くの副葬品を持つ甕棺が現れた時代でもあります。

しかし、多くの副葬品を持つ甕棺といっても、一般的な人々がそんなに大量の副葬品とともに葬られたわけではありません。

例えば、弥生時代の王の墓はなかでもとりわけ多く、そして豪華な副葬品が使われていました。

そのことからもわかるように、身分によって、副葬品や墓の豪華さ、そして大きさまでもが変わる時代だったのです。

弥生時代の身分の違いは、そのように墓の様子、そして中国の『魏志』倭人伝からの記述でもうかがい知ることが出来ます。

しかし、史料も少なく、実際どんな身分だったのか、はっきりわかっていないこともまだ数多くあります。

弥生時代の身分については、まだまだ調査中なのです。

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