縄文時代と弥生時代では、多くのことが変わっていきました。
それもそのはず。
縄文時代では食物採取の文化が弥生時代では自ら食料を作る時代に。
更に、食べるために獣を狩るためだった武器が時に人に向けられる、人同士が争いあう時代になっていくなど、人が暮らす環境や文化が大きく変化していったのです。
そんな中で生まれた弥生時代の文化を3つに絞るなら、どんなものがあげられるでしょうか。
そして、それらの文化の特徴は?
目次
食料を作る時代へ
縄文時代から弥生時代になったことで一番大きな変化の一つが稲作が全国に広まっていったことです。
それまで狩りで獣を狩ったりして自然で育ったものを食料にしていたのに対し、弥生時代では、稲作のように人々が自分たちで食料を作るようになり、食料をどうやって手に入れるかの考え方自体が大きく変わったのです。
考え方自体を大きく変えてしまった稲作の文化。
食料を自分たちで作り出すという考え方が生まれたことこそ弥生時代の稲作という文化がもたらした特徴なのです。
実用品としての青銅器
弥生時代の遺跡から見つかる青銅器には、銅鏡や祭祀に使われたものなど、いくつかの種類が見つかっています。
弥生時代の変化はそんな青銅器からも見つけることが出来ます。
青銅器と言ったら、銅鐸や銅鏡などが有名です。
銅鐸は日本に伝わる前は実用品として使われていた道具ですが、日本に伝わり、弥生時代のうちに徐々に実用品としては使われなくなっていったことがよく知られています。
それも弥生時代の青銅器の文化の特徴ですが、実はそれとは逆に実用品として作られ、使われ始めた青銅器の種類があります。
それが、鉄器です。
鉄器は、鉄でできた斧やカンナなどのこと。
そして、弥生時代の遺跡からはその鉄斧などの鉄製の工具が発見されています。
銅鐸とは違い、それらは弥生時代のなかで、実用品として作られ、使われていくようになったのです。
弥生時代の青銅器の文化は、実用品として使われなくなっていくものがあると同時に、逆に実用品として使われていくようになるものが出てきたという特徴を持っているのです。
その衣で力がわかる?
弥生時代に大きな変化を起こした文化の一つが衣の文化です。
縄文時代には編布を衣として使っていた縄文人ですが、弥生時代の衣の文化の特徴である機織り技術が伝わり、服の歴史は大きく変わりました。
人々は機織りされた服を着るようになり、その素材も絹や麻などになりました。
さらに、当時の衣の文化の特徴として、服を染めていたこともわかっています。
しかし、染められた服はまだ一般の人々は着ることが出来ませんでした。
実際に染められた服を着ることが出来たのは力をもった一握りの人々。
そのため、弥生時代の特徴として、力のある人を服で見分けることが出来るようになったことがあげられるのです。
弥生時代に見られた多くの文化。
それらの文化には、それぞれ次の時代へつながっていくような特徴を見て取ることが出来るのです。