弥生時代の高床式倉庫の実態とは

弥生時代は人口が一気に増えた時代だといわれます。

縄文時代に比べて弥生時代に人口が一気に増えた理由は、穀物栽培などで食料を自分たちで作り出すようになったため、安定して食料を手に入れる事が出来るようになったからです。

そして食料を備蓄するようになったのもこの時代。

そんな弥生時代に食料を保管する場所として使われたのが高床式倉庫です。

ではそれは一体どんなものなのでしょうか。

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高床式倉庫登場

弥生時代になって、人々は手に入れた食料を保管しておくようになりました、

食料を保管するという重要な役目を担うことになった場所は、主に二つ。

一つが貯蔵穴といい、縄文時代から食料の保存に使われていたもの。

これは食料を地中に保存しておくためのものであり、地中に穴を掘って作られていました。

弥生時代の前期にも使われていた貯蔵穴。

当時の人々はどんぐりなどをそこに入れ、ためていたことがわかっています。

一方、高床式倉庫は高床倉庫ともいわれ、地面に直接床がつかない掘立柱建物の一つ。

現代で神社をつくるときに使われる神明造という建築様式は高床式倉庫から発展したともいわれています。

そして弥生時代に日本各地で広まった稲作によって採れた米を保管するために重宝されるようになったのです。

害獣対策はばっちり?

弥生時代になり、米などを保管する場所に選ばれた高床式倉庫。

この高床式倉庫には、大きな利点がありました。

それが、地中に穴を掘って作る貯蔵穴や他の建物よりも湿気を防ぐうえ、ネズミなどの害獣が寄り付きにくい事。

それもそのはず。

地面と床が離れているため、ネズミなどの害獣の侵入経路は限られてくるのです。

しかし、少ないものの、柱を伝ってくるネズミもいます。

そのためのネズミ対策も高床式倉庫には備え付けられていました。

それが、ネズミ返しです。

地面から柱を伝って高床式倉庫に侵入しようとしても、このネズミ返しと呼ばれる板を柱に取り付けておくことでネズミの侵入を防ぐようになっているのです。

高床式倉庫のある遺跡とは

湿気対策、害獣対策もばっちりだった弥生時代の高床式倉庫。

そんな高床式倉庫のある遺跡としては登呂遺跡や吉野ケ里遺跡が有名です。

登呂遺跡の高床式倉庫には円盤状の板がネズミ返しとして取り付けられていたことがわかっています。

そして吉野ケ里遺跡の高床式倉庫は他のところのものよりも数が多く、更に規模も大きいことでよく知られているのです。

弥生時代に稲作が盛んになったのと同じくして米などの食料を保存する場所になっていった高床式倉庫。

湿気やネズミなどの害獣も防ぐなど、食料を保管するためにピッタリの場所であり、弥生時代の人々の工夫のあとがみられるのです。

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