弥生時代の日本列島

自然の中で狩りや漁をして食料を手に入れ、暮らしていた縄文時代。

その次にやってきた弥生時代は様々な出来事が日本列島で起こった時代です。

日本列島に起こった弥生時代の変化とは?

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移住者、来る!

弥生時代は日本列島の人口が一気に増えた時代でした。

それにはいくつか理由がありますが、その理由の一つが大陸から海を渡って日本列島にやってきた移住者が多かったと考えられること。

弥生時代にはある程度の数の移住者がいたと考えられているのです。

そして、その大陸から渡ってきた移住者がそれまで日本になかった文化や技術を持ち込んできたのです。

それまでなかった新しい技術や文化を取り入れたことで、弥生時代の文化を生み出すことが出来ました。

特に、移住者が持ち込んだ文化と技術の一つ、稲作は朝鮮半島の南部地方から北九州に伝わりましたが、その高い生産力で弥生時代の人口増加につながったのです。

大陸からの移住者は多くの文化を日本列島に伝えただけではなく、まさにその技術や文化こそが日本列島の弥生時代を作り出していった要素となっていたのです。

水田にピッタリの土地?

弥生時代の特徴の一つ、稲作は大陸から日本列島に伝えられ、一気に広がっていきました。

それというのも、実は日本列島は水田耕作にピッタリの土地だったからです。

雨が多く、日照り時間も長いという特徴がある日本列島は稲を育てるのに必要な水田に適していたのです。

ただ、南北に長いので、日本各地とも日照り時間や気温が違うこととなり、一部では稲が育ちにくく、稲作を代表とする弥生時代が訪れなかった地域もあります。

一方で稲作が広まったことで更に必要とされたのが、稲を育てるための人手と農作技術。

弥生時代には人手となる人々、そして農作技術をもった人々が更に大陸から移住してきた時代でもありました。

稲作と移住者との間にはそんな関わりがあったのです。

そして新しい時代へ

日本列島に稲作を始めとする弥生時代がやってきたことで、そのほかの様々な弥生文化が誕生していきました。

弥生時代の遺跡から発掘される青銅器や鉄器の技術稲作などの農作に使う道具の改良に大きな影響を与え、それらの道具は更に発展していきました。

更には祭祀にも使われるようになったりと、弥生時代の新しい文化を作り上げていったのです。

大陸から日本にやってくるだけではなく、日本のものが大陸に渡ることもありました。

日本で作られた土器などが韓国の貝塚などで見つかっていることからもそれはわかります。

更に、『魏志』倭人伝にも北部九州と南朝鮮の人々が交易していることも書かれています。

こうして大陸の文化や技術を取り入れながら、日本列島の弥生時代は変化し続けていったのです。

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