弥生時代に使われた武器

縄文時代から弥生時代になり、集落で貯められていた食料をめぐって人同士が争うようになりました。

弥生時代の邪馬台国では卑弥呼と呼ばれる女性が長い争乱を経て女王に選ばれたことからもわかるように、もめごとが起きた時に人が人に対し武器を向ける時代となったのです。

人に対して使うようになったために、武器の形や種類も徐々に変わっていきました。

かつては狩猟などで獣に向ける武器を人に向けるようになり、より殺傷能力の高い武器が必要になっていったからだと考えられています。

そんな弥生時代に使われていた武器の変化とは?

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集落も大きく、武器も大きく?

弥生時代には、人々が住んでいた集落も縄文時代に比べて大きくなり、環濠集落が現れます。

力を持った集落が近くの集落をいくつか取り込み、より大きな集落になっていった時代なのです。

そうやって大きくなっていった集落と同じように、縄文時代よりも弥生時代になって大きくなった武器があります。

縄文時代、そして弥生時代にも使われていたその武器は、石鏃という石が材料である矢じりです。

この矢じりが縄文時代の時に比べて大きくなっていっているのです。

弥生時代の墓からは戦闘で頭をとられていたり、弓矢などの武器で傷ついた人骨が見つかっています。

縄文時代に比べて石鏃が大きく、重くなっていったのは人同士の争いに武器として使われ、より殺傷能力を高めた結果なのです。

石や銅から鉄へ

石鏃や打製石器、そして銅剣など、弥生時代には様々な武器がつくられ、発展していきました。

盾や二枚の板を貼り合わせてつくった鞘に桜の皮を巻いた石剣が納められていたものが発掘されたりもしています。

縄文時代にはなかった金属製の武器が出現したことも弥生時代の特徴です。

そして、弥生時代の終わりごろになると、石製の武器は少なくなっていきます。

さらには銅剣も少なくなっていき、代わって鉄製の剣が武器として使われるようになっていくのです。

武器のようで違う?

銅剣には二種類あり、剣身と柄を組み合わせたもの、そして剣全体が一体として作られたものがありました。

武器として使われていた銅剣ですが、弥生時代の終わりごろには銅剣よりも鉄剣の方が武器として使われることが多くなっていったのです。

しかし、銅剣はそのまま姿を消したわけではありませんでした。

武器として使われることが少なくなっていった銅剣ですが、代わりに武器ではなく祭器として使われるようになっていったのです。

そのころには武器の形をした祭器がつくられるようになっていたのです。

武器の形をしながらも祭器だと判断されるのは、武器としては刃つけが甘く、凝った文様がつけられるようになっていったから。

弥生時代には、人同士の争いに使われるようになったために様々な変化を遂げた武器があった一方、武器としては使われなくなっていった代わりに祭器として使われるようになったものもあったのです。

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