弥生時代に欠かせない鉄製農具とは

弥生時代の特徴として、それまで日本になかった様々な文化などが現れ、日本の文化となっていったことがあげられます。

それは、弥生時代になり、朝鮮半島などから多くの渡来人たちがそれまで日本になかった文化などをもってやってきたから。

そうして日本にやってきた文化や技術、品物の中には金属器、稲作などがあります。

こうして伝わった金属器は日本の農耕に大きな影響を与えました。

鉄製農具が作られるようになり、普及していったからです。

では、弥生時代の農耕を大きく変え、欠かせないものになっていった鉄製農具にはどんなものがあり、一体どうやって広まったのでしょうか。

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鉄器が普及したのは?

弥生時代、海を越えてやってきた中にあった金属器。

ただ、弥生時代の初めから鉄製農具があったわけではなかったのです。

弥生時代の初めは農具といえばまだ石製、または木製品が普通だったのです。

金属器が伝わり、鉄製農具が弥生時代の日本に姿を現したのは稲作が伝わった後の事。

稲作よりも遅く日本に伝わった鉄製農具などの金属器は弥生時代の中頃に伝わり、広まり始めたのです。

石包丁から手鎌へ

そうして日本に伝わった様々な金属器はそれまでの弥生時代を変えたといっていいほど大きな影響を与えます。

鉄製農具も大きな影響を与えたものの一つ。

弥生時代の日本ではそれまで石や木で作られた農具が一般的でしたが、それらが次々に鉄で作られた鉄製農具に代わり、姿を消していきました。

鉄製農具は弥生時代の北部九州を始めとして日本各地に広まっていきましたが、その大きな理由は鉄製農具の方が効率的だということ。

例えば、石で出来た石斧で木を切り倒すのと、鉄で出来た鉄斧で木を切り倒すのには大きな差があります。

鉄斧で切り倒すほうが早く、それほど疲れずにすむのです。

そして鉄製農具は広まっていきましたが、石でできた道具の一つ、石包丁はなかなか鉄製農具へ移り変わりませんでした。

弥生時代の中頃に姿を現し、一気に日本の農耕に使われる道具をそれまでの木や石でできた農具から鉄へと変えていった鉄製農具ですが、石包丁が鉄製農具の一つ、手鎌に代わっていったのは弥生時代の後半であり、他の農具と比べ石から鉄への素材の変化に長い時間がかかっていったのです。

稲を刈り取るものではない?

弥生時代に鉄製農具が一気に普及する中、石包丁だけは手鎌へと移り変わるのが遅れていきました。

そして弥生時代も後半になってやっと鉄製農具の一つである手鎌に代わったと思われましたが、実はこの時に使われた手鎌は石包丁のように穂を刈り取るためのものではないのでは、という疑問を持たれています。

稲刈り用という説のほかに、実は穂を刈り取るためのものではなく、稲を刈り取ったあとの藁を利用するために使われた薙鎌ではないか、という説も出ているのです。

弥生時代に広まっていった鉄製農具。

ただ、弥生時代の最初から伝わっていたわけではなく、中頃から姿を現し、一気に普及していったかと思われつつも、一部の道具では鉄製農具に代わるのが弥生時代の後半に入ってからになるなど、普及のスピードには大きな差があったのです。

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