食料調達で狩りや漁を行っていた縄文時代の人々にとって、獲物が獲れないということはそのまま食料が手にはいらず、暮らしていけないということを表しました。
しかし、弥生時代になると、稲作が伝わったなどの理由で食料を備蓄することが出来るようになります。
そのことは弥生時代の人口を大きく増やす要因ともなったとされるほど大きな出来事でした。
では、縄文時代から弥生時代にかけて、どれほど食料調達の方法は変わっていったのでしょうか。
家畜化とワナ漁
縄文時代に比べ、弥生時代の食料調達は一工夫したものが多くなりました。
例えば、縄文時代ではシカやイノシシなど、肉を食べるためには自然の中で獲物を見つけて自分たちの力で狩らなければなりませんでした。
しかし、弥生時代には狩りで獲物が獲れなくても好きな時に肉を食べられるように食料調達の方法が変化しました。
縄文時代と同じように狩りで獲物を捕るだけではなく、イノシシを飼いならす家畜化を行っていたのです。
一方、漁でも魚が入り込むと出られないような仕掛けを作り、魚を獲るというワナ漁を行っていたことがわかっています。
弥生時代の食料調達は縄文時代から一歩進んだ工夫がされたものになっていったのです。
木の実と穀物
弥生時代はのちに日本人の主食となる米が伝わり、広まった時代だということがよく知られています。
しかし、弥生時代に育てられていたものは稲だけではありません。
稲の他にも、食べられる穀物として、粟やキビなども育てられ、食べられていたのです。
更に、縄文時代に続いて弥生時代でも木の実は重要な食料のひとつでした。
食料調達で木の実が手に入り、それがあく抜きが必要なものだった場合、あくを抜くためのあく抜き場も弥生時代には作られていたことが遺跡の調査でわかっています。
弥生時代の遺跡ではあく抜き場が設置されているほど木の実も一般的な食料として食べられていたのです。
当時の食料調達では、イノシシなどの肉はもちろん、魚や木の実、果物なども手に入れていたことがわかるのです。
ベースは縄文時代?
こうして見ていくと、縄文時代に比べて弥生時代の食料調達の方法は、それまでよりも工夫された方法となっています。
しかし、一方で、弥生時代に食料として食べられていたものを見ると、イノシシや木の実、魚や果物などであり、縄文時代とはたいして変わっていないことがわかります。
つまり、弥生時代では獲り方などは変化したものの、品はかわらず縄文時代に続いて肉や魚、木の実を食べて生活しており、そこに新しく弥生時代の頃に伝わった米などの穀物も食べるようになったといえます。
そのため、弥生時代の食料調達の方法には、縄文時代に行われていた狩猟、漁、採集に加え、稲などの穀物栽培が増えたという考え方が出来るのです。